ミュージアムレポート

HOME > ミュージアムレポート > VOL.30 > リニューアルを機に本来の考古学にさらにフォーカス

自然の柔らかな光を再現し、あるがままの美を味わう

35年ぶりの大改修で、「美術品がもっとも映える空間」を実現

静岡県熱海市の相模灘を見渡す高台に建つMOA美術館が、2017年2月にリニューアルを果たした。1982年に開館して以来、実に35年ぶりの大改修である。重厚で良質な素材を使った既存の建物の良さは残しながら、空調や電気設備を更新し、エントランスやロビー、展示室、ショップ、カフェコーナーなど内装の一新をはかった。基本設計・デザイン監修を手掛けたのは、現代美術作家として世界的に活躍する杉本博司氏と建築家榊田倫之氏が主宰する新素材研究所、実施設計は竹中工務店だ。

「今回のリニューアルで重視したのは、創立者岡田茂吉の美意識や思いを継承し、それぞれの美術品がもっとも美しく映える空間をつくるということです。それと同時に大切な美術品を安全に未来へ引き継いでいけるように、最新の展示ケースや免震台を導入するなど、保存面にも気を配りました」と学芸部次長の矢代勝也さんは語る。

新素材研究所に内装設計を依頼したのは、杉本氏が手掛けた東京のロンドンギャラリー白金の展示空間を見て、「こういう空間が日本や東洋の美術を引き立てる」と直感したからだという。

MOA美術館は、創立者岡田茂吉の蒐集した日本と東洋の古美術品を中心に、絵画、書跡、工芸、彫刻等約3500点を所蔵している。尾形光琳筆「紅白梅図屏風」、野々村仁清作「色絵藤花文茶壺」、手鑑 「翰墨城」の3点は国宝に指定されており、伝本阿弥光悦作「樵夫蒔絵硯箱」をはじめ重要文化財66点、重要美術品46点を含む充実したコレクションだ。岡田氏のコレクションの特徴は、「鑑賞して美しいもの」が多く、博物館的な価値が高くとも損傷の激しいものは、あまり好まなかったという。

「多くの人に美しいものに親しんでもらいたい」との考え方は、同館では来館者が作品を自由に写真撮影できる点にもあらわれている。

現代美術作家として活動するかたわら、自らも古美術品の蒐集をおこなう杉本氏は、MOA美術館の所蔵品を見て、「岡田先生のコレクションは素晴らしい。こんなものがあったらぼくも買いたかったと思うものがいっぱいある。ものを愛しているということが伝わってくる」と、内田篤呉館長との対談で話し、蒐集家の目でいかにして作品を美しく魅せるかという点に心を砕いたという。そうして実現したのが、展示室内に築かれた高さ約4m、幅約17mにおよぶ黒漆喰の壁である。

MOA美術館  学芸部 次長
矢代 勝也さん

国宝の野々村仁清作「色絵藤花文茶壺」。
周囲を覆う黒漆喰の壁と、この作品専用に作られた展示ケースの絶妙な照明設計によって、小宇宙の光の柱の中に、作品がひときわ輝いているかのような幻想的な展示が実現した。

ガラスの存在を消し去る黒漆喰の壁

貴重な作品の展示には、展示ケースの存在は欠かせないが、気になるのはガラスの映り込みだ。壁面展示ケース同士が対面している展示室ではとくに反対側の展示ケースの光がガラスに反射して、鑑賞の邪魔をすることがある。

「そういうことを避けるには、反対側が闇だったらいいんです。それも真っ暗闇ではなく、質感のある闇」と杉本氏は先の対談で語っている。黒漆喰の壁は総勢210人もの人の手が加わっており、仕上げは一気に塗る必要があったため、職人が横一列に並んで数人がかりで塗りあげたという。

いにしえの人々は、畳の上で、あるいは床の間の木の上で、ガラスに隔てられることなく自然の光やろうそくの灯りのもとで作品を見ていた。鑑賞の興をそぐ展示ケースのガラスの映り込みは、黒漆喰の壁と低反射ガラスで巧みに回避され、ケースの正面に立つとまるで作品と直に向き合っているかのように感じる。「美術館という近代装置の内に前近代を見せる使命を課した」(杉本氏)という、その試みが体現されている。

「以前の展示室は、かなり映り込みがありました。ただ、部屋の中に壁をたてると、狭くなってしまうので、その点は心配でしたが、できあがってみると展示導線がはっきりして、かえって広くなったように感じます」と矢代さんは話す。

第2展示室中央に新設された、野々村仁清作の国宝「色絵藤花文茶壺」を展示する特別室も、黒漆喰の壁でぐるりと周囲を覆うようにつくられている。中に入るとまるで闇の中に作品だけが浮かんでいるようだ。展示ケースは「色絵藤花文茶壺」のための専用で、製作にあたってはまったく同じサイズのレプリカを使い、実物大モックアップで何度も見え方の調整を行った。

「黒漆喰で囲まれた特別室の中で、際立って美しく見えるように照明を設定する必要があったため、現場でモックアップを組み立てて、上部照明の角度やクロスの色、下部照明を入れるのかどうかなど、何度も実験しました。この展示ケースだけで、半年もかかりましたね」と展示ケース製作を担ったコクヨの担当者は話す。

また、今回のリニューアルには、黒漆喰だけでなく、屋久杉、行者杉、畳、低温焼成の敷き瓦など日本の伝統的な素材がふんだんに使われているのが特徴である。作品がつくられた時代に近い状態で鑑賞することが、作品の持つ美しさをもっとも引き出すと考えたためだ。

杉本氏は当初、展示ケース内の壁にも漆喰を使いたかったそうだが、アルカリ系の放散ガスによる作品への影響が懸念され、クロスに変更された。畳についても同様の理由で、イグサではなく、和紙が使われている。

床面に低温焼成の敷き瓦を利用した展示ケース。背面のクロスも漆喰の雰囲気を出すために、非常に目の細かいものを使用して色合いも吟味している。

細部まで見えるLEDの光と厚み3.5㎝の極薄の免震台

『鑑賞の邪魔になるものは徹底的に省く』という考えは、免震台にも及んでいる。地震による作品の転倒を防ぐ免震台は、前後左右の揺れなどに対応するために3層構造になっており、通常は十数cmの厚みが必要だ。しかし、壁面展示ケースの中に免震台を入れると、どうしても免震台が目立ってしまう。

そこで考え出されたのが、下層2層を展示ケースの床に埋め込んでしまうという画期的な方法だ。表に出ている1層目の厚みはわずか3.5cm。しかも素材に屋久杉や和紙畳が使われているため、免震台だと言われなければ、まったく気が付かないほどだ。

「以前も免震台をフェルトで覆うなどして、違和感がないように隠してはいたのですが、厚さが十数cmあると、やはりぼってりと見えてしまうんですね。万が一の際に作品を守るには欠かせないものですが、作品を“魅せる”ためには邪魔になる。新素材研究所さんやコクヨさんは、そんなところまで徹底的にこだわり抜いてすばらしいものに仕上げていただきました。壁面展示ケースの中に免震台を埋め込んだのは、おそらく当館がはじめてではないでしょうか」と矢代さんは話す。

掛け軸と茶道具などの作品を同時に展示している第3展示室。床の作品と壁面の掛け軸に同時に適正な照明をあてることができるのは、スポットライトと上部に仕込まれた3列のLED照明の角度がそれぞれに調節できるためだ。作品を置いている畳も免震台となっている。

リニューアルオープンを記念した展覧会「リニューアル記念名品展」+杉本博司「海景-ATAMI」では、創立者岡田茂吉のコレクションの中から日本・中国美術の名品を厳選し、尾形光琳の代表作として知られる国宝「紅白梅図屏風」や野々村仁清の茶壺のなかでも最高傑作と名高い「色絵藤花文茶壺」などが展示された。「色絵藤花文茶壺」は常設されるが、絵画などは保存上1年のうち展示できる期間が限られているため、「紅白梅図屏風」は毎年、梅の時期だけの特別展示となっている。

今回はさらに改修工事で約11ヶ月間閉館していたため、「リニューアル記念名品展」には開館を心待ちにしていたファンが数多く訪れたが、以前とは異なるクリアな展示環境に驚く人が多かったという。

「紅白梅図屏風はこれまで何度も見に来ているが、今回はじめて屏風の枠に施された透かし彫りに気がついた」、あるいは、「陶磁器の刷毛目や、和紙に梳きこんだ金箔や銀箔まで見える」などの声も聞かれ、日本美術の繊細な美しさにあらためて気づいた人もいるようだ。

「以前の蛍光灯の照明とは雲泥の差です。リニューアル展を開催するにあたって、照明をいろいろと調整してみましたが、少し手を入れるだけで、見え方が全然違います。細かいところまで良く見えるようになったのですが、照度は以前よりも低いんですよ」と矢代さん。

低反射ガラスと黒漆喰、LED照明による光と和紙畳や屋久杉、行者杉などの木材。新しいものと伝統の素材の掛け合わせにより保存と展示の両立を果たし、最高の展示環境を手にしたMOA美術館。今後の抱負をうかがうと「初年度は空気環境の様子を見るためにも所蔵品だけで企画を考えていますが、ゆくゆくは他館からも作品を借りた企画展もやりたいと思っています。この環境で作品がどう映えるのか非常に楽しみですね」という答えが返ってきた。

リニューアル記念名品展で展示された国宝の手鑑 「翰墨城(かんぼくじょう)」。
「藻塩草」(京都国立博物館蔵)「見ぬ世の友」(出光美術館蔵) とともに古筆三大手鑑の一つとして名高い。翰墨城の名は、翰(筆)と墨によって築かれた城という意味で、古筆切が311葉おさめられている。

多目的に使える第5展示室(写真左)と創立者の部屋(写真右)。 創立者の部屋には、岡田茂吉氏の手による書画が展示され、椅子に座ってゆったりと作品を鑑賞できる。。

ミュージアムのご紹介

〒413-8511 静岡県熱海市桃山町26-2
MOA美術館
ウェブサイト http://www.moaart.or.jp/

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