匠レポート

HOME > 匠レポート

THEORiAを支える匠たち 匠レポート

美術品や歴史的価値の高い品物を展示する展示ケースには、モノを美しく「見せる」ことと、モノを劣化させず「守ること」の二律背反する課題が常に課せられています。
この難しい課題に日々取り組んでいるのが、コクヨファニチャーの展示ケース設計部署MUSEUM TEAMと協力工場のエンジニアたち。
匠レポートでは、THEORiAを支える匠たちとして、展示ケース製作に情熱を注ぐエンジニアたちをご紹介していきます。

掲載している内容は取材当時のものです。

匠レポート06 コクヨファニチャー株式会社 設計推進部 チーフエンジニア 山内佳弘

20数年間、常に上のレベルを求め続けられてきたから今がある

コクヨが展示ケースに着手したのは1980年の半ば。今に至る20数年間で、大規模な工事から小規模な製品納入まですべてを含めると、全国各地約800館ものミュージアムに展示ケースを納入してきた。空白の都道府県はない。その歴史のほとんどをともに歩んできたのが山内佳弘である。お客様(施主、設計事務所、ゼネコン)からさまざまな要望を聞き、それに応える展示ケースを生みだすのが山内の仕事だ。匠シリーズでこれまでに紹介してきた5名のエンジニアの中心的存在で、日本の展示ケースの第一人者といっていい。コクヨに入社して以来、展示ケース一筋。「常に上のレベルを求め続けられてきた20年間だった」と山内は振り返る。
その中でも、ターニングポイントとなる仕事をあげれば2つある。1つが、1996 年に手がけたMIHO MUSEUMだ。国際的な建築家I.M.ペイ氏の設計による当ミュージアムでは、展示ケースも当時の常識を超えた最高レベルのものが要求された。
MIHO MUSEUMは北ウイングと南ウイングの2つの建物からなり、コクヨが担当したのは北ウイングの展示ケースだったが、もう一方の南ウイングを担当したのは、ドイツの世界的な展示ケースメーカーのグラスバウハーン。今でこそコクヨも引けを取らない自負はあるが、当時は群を抜く存在だった。そんな緊張感の中での展示ケース製作がはじまった。
MIHO MUSEUMでは、展示ケースの理想を形にするということを求められた。MIHO MUSEUMの前後で、展示ケースの概念は大きく変わった。現在のコクヨの展示ケースの原点がここにあるといっていい。
「最初、ケースの設計図面を見せられたときは、こんなのが本当にできるのかと思った」と山内はいう。ガラスを背面から接着保持し、まわりの壁面とガラスがフラットになるガラスバックストラクチャーや、展示替えのときにケース内に入らずに、前方から作品を出し入れできるフルオープンの開閉機構など、当時、誰も試みたことのないチャレンジだっただけに、設計図面を何度も修正しながら同時に現場での施工が続いた。
「今振り返っても、MIHO MUSEUMの仕事は本当によくやったと思います。この仕事で学んだのは、『展示ケースとは、こういうものです』というメーカー主導の売り方は、もう通用しない。常に新しい技術に挑戦して、進化していくものだということです」。

機能的にも意匠的にも中途半端な妥協は許されなかった

MIHO MUSEUMの展示ケースはそれまでの概念を大きく変えるものであったが、一方で特殊性が高く、山内はその後、この機構や性能の標準化に取り組むことになる。その結果、コクヨの展示ケースは確実に進化していった。それが結実したのが、次のターニングポイントとなるサントリー美術館である。
「できあがった展示ケースだけでなく、展示ケースづくりのプロセス自体、それまでとはまったく違ったやり方でした。それは、最初から最後まで、実際の展示ケースの使い手である学芸員の方にも議論に入っていただいたことです。毎日の仕事で展示ケースに接する学芸員が使いやすくするには、どうすればいいか。これは使う立場の人でないとわからない。作品の出し入れひとつとっても、設計・施工の立場から想像しているだけではダメです。だから、徹底的に意見交換しました。それだけで1年があっという間に経過しました」。(山内)
しかも、美術館の設計は、数々の建築賞を受賞する隈研吾建築都市設計事務所。学芸員の方が使いやすさを追求する一方で、隈事務所からは意匠性を徹底的に求められた。「学芸員の方も設計事務所の方も、皆さん非常に熱心で、打ち合わせが深夜になるのもしょっちゅうでした。日付が変わってからもメールで議論が飛び交う。中途半端な妥協が許される雰囲気ではなかったですね。でも、議論を尽くしたおかげで、そのときの最高のものができたと自負しています」。
その後、引き続き根津美術館でも同様に、徹底した議論をおこない、内装工事も含めた展示ケース工事をおこなった。

現場での打ち合わせ(MIHO MUSEUM)

学芸員の仕事を知る、作品を知る。それがミュージアムの期待に応える原点

学芸員にとって使いやすい展示ケースとはどんなものか。それを解くには、学芸員の仕事を知ることが重要だ。実際の作業を知って初めて、学芸員の気持ちに近づけるからだ。
山内は許可をもらって、邪魔にならないところから展示の入れ替え作業を見学することから始めた。通いつめるうちに信頼関係ができ、今では作業を手伝うこともあるという。
そのうえで、コクヨ側から積極的な提案をおこなってきた。
「学芸員の方は作品の専門家であっても、展示ケースの専門家ではありません。図面では現物がイメージできない場合は、精巧な小型の模型をつくって見てもらう。他館に納入している展示ケースの実物をお見せする。原寸大の展示ケースで、照明実験などをおこなうこともあります。現物で説明すると、『それだったら、こっちがいい』『こういうことはできないか』などの意見が出やすいのです。最終的に『コクヨさんにお願いしてよかった』と思っていただくには、意見をくみ上げるプロセスがとても大切です。気になること、やりたいことは、とにかく何でも言ってもらったらいいんです。それを形にするのが、私たちの仕事ですから」。このようにして、山内は学芸員とともにつくるという姿勢を貫いている。
もう1つ重要なことは、作品そのものを知ることだ。「昔、ある仕事をしたときのことですが、打ち合わせの場で学芸部長がケースに展示する作品の話を出されました。ところが、その当時はどんな価値のあるものなのか判らなかった。展示される作品のことを知らずに、展示ケースをつくっていたのです。大反省でしたね」。
それから、山内は忙しい中にあっても、できるだけ作品のことを学ぶように努めた。学び始めると、興味がわいてくる。興味を持つようになれば、仕事もだんだん楽しくなってくる。
山内はいう。「素晴らしい作品を生で見ていると、展示ケース越しではわからなかった迫力や美しさが見えてきます。その美しさをいかにして伝えるか。作品の生の迫力や美しさを知らなければ、本当にいい展示ケースをつくることはできません」。

精巧な模型を用意することもある。(根津美術館展示ケース模型)

評価されるようになった今も、決してそれに甘んじることなく

サントリー美術館や根津美術館の展示ケースは、多くのミュージアム関係者に高い評価を受けた。高性能な展示ケースなら「コクヨ」という評判も広がっている。サントリー美術館や根津美術館を見て、展示ケースの製作をリクエストされることも多い。
館によって、所蔵品の種類もコンセプトも異なる以上、求められる展示ケースも一律ではない。その館独自の、妥協を許さない“展示ケースのあるべき姿”が求められているのだ。その意味では、いつまでも探究心を失ってはならない仕事だ。
「同じ作品を全国何ヵ所かの美術館で順番に紹介する巡回展があります。それを見て回ると、作品の美しさをフルに引き出している展示があるかと思うと、同じ作品なのにとても寂しく見える展示もあるそうです。すぐれた展示の館だけをピンポイントでおとずれるマニアもいると聞きますから、これからはますます見せ方が非常に重要になってくると思います」。
それだけ、展示ケースの果たすべき役割が重くなってきている証拠である。だからこそ、今の評価に決して甘んじることなく、さらに上をめざさなければならないと、山内は今日も気持ちを引き締めている。

匠WORD

本文でご紹介できなかった匠の印象的な言葉を集めました。

コクヨの亡くなった会長の言葉で“知好楽”というのがあります。知れば知るほど好きになり、好きになればなるほど、楽しくなるのが本当の仕事。そうなれば、現場の夜中仕事が続いても、全然苦になりません。

展示ケースの設計者は、単に金物やハードをつくっているという感覚ではダメ。学芸員と作品の話ができるようになってはじめて本物の設計者だと思う。

仕事をする上で一番意識していることは、将来、後ろ指を指されるような仕事をしないこと。どんな事情があったとしても、「コクヨの展示ケースはこの程度か」と思われてしまうことほど怖いことはない。そんな仕事は絶対しない。

プライベートで美術館に行っても、やっぱり展示ケースやライティングが気になります。もちろん作品はゆっくり鑑賞したいので、一巡目は展示ケースの見学。次に照明を見て、最後にじっくり作品を鑑賞する。三井美術館の雪松図屏風は、30分ぐらいその場から離れられませんでした。作品の迫力をすべて引き出すための装置が展示ケースだと思います。

↑ページの先頭へ