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大学のアーカイブズを開かれたアクティブな空間に ハリス理化学館同志社ギャラリー

京都の新たな情報発信基地 同志社ギャラリーが誕生

2013年11月29日、同志社大学今出川キャンパスに建つハリス理化学館に同志社ギャラリーがオープンした。

ハリス理化学館は、新島襄が永眠した1890(明治23)年の7月、アメリカの実業家J.N.ハリスの寄付をもとに建てられたイギリス・ゴシック様式の煉瓦造りの建築物である。ここを拠点に同年9月、同志社大学理工学部の原点とも言えるハリス理化学校が開校された。同校はその後、廃校になるが、ハリス理化学館自体はそのまま残り、現在、国の重要文化財に指定されている。

一方、新島襄永眠50年記念事業の一環として、1942(昭和17)年、キャンパス内に新島遺品庫が建てられ、ここに書簡、日記、ノート類、説教・演説草稿、公務記録・文書、軸物、絵画など、新島襄や同志社関係資料が収蔵された。当初は陳列室と収蔵室の2部屋だったが、その後、新島襄の親族や関係者からの寄贈が続き、収蔵室だけで保管し切れない量になった。そのため、1995年、陳列室まですべて収蔵スペースに当て、代わりにハリス理化学館の2部屋を使って常設展示室を開設した。

近年、今出川キャンパスの大規模な整備事業の一環で、ハリス理化学館の有効活用が検討されることになる。その頃は、常設展示室以外の部屋はさまざまな事務室に使われていたが、整備事業によって新しく整備された建物に事務室はすべて移っていった。そして、空いたハリス理化学館は、同志社ギャラリーとして再スタートすることが決まったのである。

同志社ギャラリーの計画当初の目的は、同志社大学に入学したばかりの1年生に新島襄や同志社の歴史を見せて、愛校心を育むことだった。現物の資料を目の当たりにすれば、新島襄の想いや同志社の歴史についてリアリティーをもって身近に感じられるようになる。

その一方で、今出川キャンパスは京都市内の中心地、絶好のロケーションにある。京都御所に隣接し、地下鉄今出川駅とも直結しているため、外部の方が気軽に立ち寄れる場所だ。

「春と秋には京都御所が一般公開されますし、同様に北に隣接する相国寺も一般公開されます。キャンパスにぶらっと立ち寄って散策される方もよく見かけますよ。その様子を見て、新島襄を同志社という小さな枠で捉えるのではなく、もっと広い視野で評価した上で、それを積極的に外部に発信してはどうかと考えるようになりました」と同志社社史資料センターの小枝さんは語る。

こうしてハリス理化学館同志社ギャラリーは、収蔵資料を中心に新島襄と同志社について深く掘り下げる常設展示と、この空間を介してより広い視野で情報発信していく企画展示との両輪で運営されることになった。

新島遺品庫の代表的な収蔵品「自責の杖」。1880年に起こった学生ストライキの責任はすべて校長の新島襄自身にあるとして、自らの左掌を強打した杖。

セイヴォリー家の聖書。新島襄が密出国時に乗船したベルリン号のセイヴォリー船長の家に伝わる聖書。襄の直筆のサインが認められる。

煉瓦造りの建物外壁と合わせて、2階に上る階段も重要文化財に指定されている。

博物館並みの品格を実現し、対外的な信頼度が高まる。

ハリス理化学館同志社ギャラリーを管理する同志社社史資料センターは大学文書館であって、博物館ではない。しかし、ギャラリーを外部に情報発信するにふさわしい施設とするためには、博物館並みの品格が求められる。

また、リニューアルに際してもっとも留意したことは、重要文化財としての価値を損なうことなく、新しい空間を創ること。そして、館内の趣をどのように表現するかが課題であった。

館内の基調となるイメージは漆喰の白と木目とのツートーン。実際には、内部の壁はコンクリート造りで、手を加えることができるので、新たなデザイン性を持ち込んではどうかとの意見も出された。しかし、建物の歴史的価値の継承を重んじて、展示ケースやカーペットなどに基調のツートーンと調和する色味とシンプルなデザインを採用。その結果、ゴシック様式に自然に溶け込み、全体に落ち着きのある空間が実現できた。

新しく導入した展示ケースについては、デザインのシンプルさに加え、非常にすぐれた機能性によって、この新しい施設の価値を大きく高めることとなった。とくに、以前の展示室の照明環境が望ましい状態ではなかっただけに、最新の展示ケース内のLED照明によって、常に適切な照度を維持できるようになった成果は大きい。

さらにスポットライトは個別調光タイプも導入し、展示品のひとつひとつに合わせたライティングができるようになったので、従来の「説明する展示」から「見せる展示」へと進化した。実際、来館者の方が展示品を食い入るように鑑賞しているのがわかる。

「オープニングのときに、以前と比べて格段に素晴らしくなったと評価いただきました。また、まわりの目が変わったのを実感しました。他館から作品をお借りするには人間関係も大切ですが、施設が信頼されなければなりません。これからも着実な運営を行い、意欲的な企画展に取り組みたいと思います」と小枝さんの夢は膨らむ。

もちろん、まだまだ満足できるレベルではない。これからも課題を一つずつクリアしていかなければならないが、展示施設としての大きな第一歩を踏み出したことは間違いない。

自力で集客できるだけの斬新な企画展にも挑戦したい

環境面の課題をクリアしていくのと並行して、年4回程度、企画展をコンスタントに開催していきたいと小枝さんは言う。

第1回企画展「新島襄と八重」に続き、2014年3月には、東日本大震災をテーマにした「3.11写真展」を開催した。このあとも同志社出身の文学者に焦点を当てた企画展や、他の公立博物館とのコラボ展を計画している。

さらに、より斬新な企画も挑戦的に取り上げていきたいと考えている。

「同志社はキリスト教精神という、当時にあってはマイノリティな理念をもって始められた学校です。それが140年もの長い年月をかけてゆっくりと京都に根を下ろしてきました。そのDNAを引き継ぎ、新しい価値観と伝統文化の融合をコンセプトにしていきたいですね。」

たとえば、アイデアのひとつに「コスプレ展」がある。「コスプレ」と聞くと、眉をひそめる大人も多いと思うが、決してそのようなキワモノ文化ではない。新島襄も密出国のときの扮装をしており、その扮装は彼の心に刻まれた強烈な思い出が表出されたものだと言われている。新島八重も戊辰戦争時には断髪・男装している。人にはもともと自分にないものを装い、演じたいという潜在意識がある。そのような側面から「コスプレ」という文化を紹介するのが「コスプレ展」の目的である。

企画展にはそのくらいの斬新さがあってもいいだろう。開館した2013年は、NHKの大河ドラマ「八重の桜」が評判となった余波で、同志社ギャラリーも多くの注目を集めることができた。しかし、いつまでも「八重の桜」頼みは続かない。そのためにも、自力で人を集めるだけのインパクトがこれからは必要だと考えている

ところで、新島遺品庫の収蔵品の中に、重要文化財に指定された資料もある。クラーク記念館(これも今出川キャンパス内の建築物で重要文化財に指定)の絵図面である。これからも重文指定される資料が出てくることは十分に考えられる。

それほど貴重な資料を収蔵しながら、旧ハリス理化学館に2つの展示室しかなかった時は、学術的に資料を集めて整理して論文は書かれていたものの、「見せる」という点ではせいぜい「閲覧」してもらう程度だった。それが同志社ギャラリーのおかげで、「展示」できるまでに大きくグレードアップしたのである。

資料を収集・整理・保管するだけに留まらず、いかに広く公開して、積極的に情報発信をしていくか―。

これは、正規の博物館を持つ一部の大学を除き、多くの大学に共通する悩ましい問題である。この問題を解決するためには、まず、環境整備が重要だ。展示ケースを刷新するだけでも、対外的な活動を進める上で、大きな武器、強力な後ろ盾になる。

ハリス理化学館同志社ギャラリーは、今はまだ一歩を踏み出したにすぎない。しかし、今後、京都における新しい情報発信基地として発展することで、他の大学のアーカイブズの模範となる施設をめざしたいと考えている。

社史資料調査員 小枝 弘和さん

展示ケース内の上部照明はLEDのベース照明とスポットライトの2種類で構成されている。また、スポットライトはライン調光タイプと個別調光タイプを導入し、作品に応じて使い分けている。

ミュージアムのご紹介

〒602-8580 京都市上京区今出川通烏丸東入 同志社大学今出川キャンパス内
ハリス理化学館同志社ギャラリー
ホームページ http://harris.doshisha.ac.jp/

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