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学芸員の想いを実現したメーカーとの息のあったコラボレーション

2002年に京都の泉屋博古館の分館としてスタートした泉屋博古館分館は2021年に泉屋博古館東京と改称され、開設20年目にあたる2022年3月に全面的にリニューアルオープンした。リニューアルにあたり、展示環境のどのような点に留意されたのか、どのような創意・工夫をされたのか。同館の野地耕一郎館長、森下愛子学芸員、椎野晃史学芸員の3名に、展示環境の設計・施工・製作を担当したコクヨの木内隆雅と山内佳弘が加わり、語り合っていただいた。(以下の本文で敬称は一部省略させていただきました)

既存の壁面展示ケースを大胆に改修し、まったく新しい展示空間が誕生

―― はじめに、今回のリニューアルに至るご事情や目的を野地館長からお話しいただけませんか。
野地:
以前は展示室が2室だけでしたので、数ある所蔵品をご覧いただくにはスペースが不十分でした。一つのテーマを表現するのに、必要な数の作品を並べきれないこともありました。それで開設20年の節目に増改築して、展示室を4室に増やすことにしたのです。第1展示室と第3展示室が元からあったものを改修した展示室、第2と第4が新たに増築した展示室です。
増改築にあたっては、美術館機能のスペックを高めることも心がけました。第一に、作品本来の魅力を引き出せる展示環境をつくることです。そして第二に、アミューズメント機能を持たせることで、そのために、ミュージアムグッズを買えるショップや鑑賞の余韻に浸っていただけるカフェを開設しました。まわりの庭園の緑に囲まれたカフェでは、作品の美と自然の美の両方に触れて気持ちのいい時間を過ごしていただきたいと思っています。
―― 第一の展示環境づくりのために、具体的にはどのようなことをされたのですか?
野地:
森下さん、どうかな?
森下:
そうですね。私の専門は工芸なんですが、絵画や掛け軸などと違って、工芸作品は立体物なので、四方から鑑賞できるよう、独立型の展示ケースの置けるスペースを増やしたいと思っていました。壁面展示ケースでは片方からしか鑑賞できませんから。そのスペースを確保するために、思い切って第1展示室の壁面展示ケースの一面を取り払うことにしました。
以前の第1展示室は、入り口側を除く三面が壁面展示ケースでした。展示室全体を壁面展示ケースがコの字に囲んでいたのですね。そのうち入り口から見て左手と正面の2面の壁面展示ケースをL字型に残し、右手のケースを取り払いました。いまその場所に2台の独立展示ケースを置いて、工芸品を展示しています。私がぜひとも実現したかったことの一つだったので、とても満足しています。
野地:
第1展示室は狭いので、壁面展示ケースに三方を囲まれていたときは、やや圧迫感がありましたね。それに絵画を鑑賞するには少し引きが足りなかった。だから、L字型にしたのは大正解なんですが、つながっているケースの1面だけ取り外すなんて、簡単にできるとは思っていなかったので、コクヨさんはよくやってくれました。
山内:
確かに全然、簡単ではなかったですよ(笑)。
野地:
ありがとうございました(笑)。もちろん、L字型の部分も元のまま残したわけでなく、照明やケース内のクロスも全部新しくしました。その際、ライティングやクロスの色などについて、ああでもない、こうでもないと何度も繰り返し検証を重ねました。
山内:
結局、元のケースで残っているのは骨格の部分だけです。躯体と開閉機構とガラスと。
木内:
いえ、ガラスも正面は新しく入れ替えましたよ。
山内:
ああ、そうだった。右手のケースを撤去して空きができたから、その分、元のガラスでは長さが足りなかったんですよね。
木内:
今回改修した既存の壁面展示ケースは他メーカー製だったので、その点でも苦労しました。図面は残っていたのですが、図面が古く詳細な図面もなかったので、肉眼で確かめながら改修を進めました。照明やクロスを入れ替えたほか、メンテナンスのじゃまになっていたパネル類も撤去し、外側からメンテナンスできるようにハッチにしました。

モックアップで検証を重ねて、今できうる限りの最高の展示環境を実現

―― 照明やクロスの色について検証を重ねられた結果、展示環境の満足度は何点ぐらいですか?
野地:
今できうる限りのことはすべてできたので、そういう意味では100点満点ですね。コクヨさんには本当によく対応していただきました。既存のケースの改修は現場で検証できましたが、新設のケースについては、コクヨさんが工場に原寸のモックアップを2種類作ってくれましたので、そこに絵画や工芸作品を持ち込んで、実際にどう見えるかを確かめました。
当館の所蔵品は多岐にわたりますので、一つひとつ個性や形状などが異なります。他館からお借りして企画展を催す場合など、さらに多彩な作品を扱うことになります。それを従来の蛍光灯やハロゲンで一律に照らしては、作品の本来の魅力を引き出せません。
今回のリニューアルではLED照明に替えただけでなく、どのようなライティングにすれば汎用性が高くなるか時間をかけて何度も確かめ、平面的な絵画と立体的な工芸作品がともに満足できるギリギリの妥協点を見出しました。そのうえで、さらに作品一つひとつに応じたライティングを展示ケース内のスポット照明や外打ちのスポットで補い、演色性を高めるようにしています。
椎野:
照明だけでなく、展示室の壁とケース内のクロスの色も納得のいくまでとっかえひっかえ何色も確かめました。展示室の壁は黒にしたのですが、そのおかげで展示ケースのガラスの映り込みが極端に減りました。新設した壁面展示ケースのガラスは低反射ではないのですが、ほとんど映り込みが気にならず、鑑賞に集中していただけます。
展示ケース内のクロスの色は、以前は明るめのベージュだったのをグレーに変えました。グレーといっても幅がありますが、そのなかで適切なグレー色を選ぶことができたと思っています。どんな種類の作品にもあう汎用性の高い色で、照明との相性もいいですね。
野地:
クロスに関しては、モックアップで気づいたことがあります。ケース内の背面と床面のクロスはまったく同じグレーなのに、上部照明が直角にあたる床面のほうが明るいグレーに見えるのです。これは重要な気づきでした。というのも、例えば、屏風を上部照明だけでライティングすると一般的には足元が暗くなりがちです。しかし、今回のライティングでは床面が明るいので、その反射光で屏風の足元の照度が確保でき、下からのライティングで補う必要がありません。屏風全体がごく自然に均一にライティングができます。

良いものをつくりたいという館の熱意が、コクヨの持てる技術とノウハウを引き出した。

―― コクヨはよく対応してくれたとおっしゃいましたが、展示ケースや照明の専門家として、どんなアドバイスや提案がありましたか?
野地:
当館のほうから要望を投げる。それに対して、いろいろと試していただく。当館がまたそれを評価する。といったキャッチボールというか、コラボレーションで進めたので、打合せのたびにアドバイスや提案がありました。挙げればきりがないです。満足いく展示環境がつくれたのは、その積み重ねの結果ですね。
最初に言いましたが、既存の壁面展示ケースの1面を取り払うのは非常に難しいと思っていましたが、コクヨさんは様々な角度から試しながら見事にやり遂げてくれました。恐れ入りました、という気持ちです。
森下:
私もコクヨさんにたくさんお願いしましたので、一言では済まないのですが、壁面展示ケースに置くシステム展示台はとくに気に入っています。全部並べれば70mほどになる展示台です。それを限られた収納スペースに、できるだけコンパクトに仕舞っておく必要があったので、コクヨさんに工夫してもらいました。けっこうご苦労をおかけしたと思います。でも、フレームと脚と天板、前板に分解できるような仕組みにしていただき、強度を持たせながら、収納に大きなスペースがいらず、助かっています。
野地:
あとは、このエントランスケースも望みどおりのものです。最初は建物の壁面に完全に埋め込みたかったのですが、構造上それができなかった。かといって、独立の展示ケースを置くだけでは面白くない。それで背面の一部だけを壁に埋め込んだ、建物一体型の特別な全面ガラスケースをつくってもらいました。
名だたる美術館の多くは、エントランスに象徴的な作品を展示しています。来館者がその前で少し立ち止まり、美術を鑑賞するモードに入っていただくためでしょうね。ですので、この展示はとても重要なのです。
木内:
エントランスケースもサイズ感や素材、色を確かめるために、モックアップをつくりました。これだけの高さがあって、大半が壁から飛び出た5面ガラスなので、安全面の検証も非常に重要でしたから。
山内:
実は、エントランスケースの床面の素材はずいぶん悩んだあげく、ショットブラストにしたんですが、我ながら見事な選択でした。非常に品よく収めることができたと自画自賛しています。誰もほめてくれないのですが(笑)。
野地:
じゃあ、この対談原稿には、ぜひそう記載していただきましょう(笑)。
山内:
今回、ご満足いただくリニューアルができた理由は、メーカーの側から申し上げると、野地館長と森下さん、椎野さんが何をしたいのかという意図をしっかり持っていただいていたからです。それと良いものをつくりたいという熱意がひしひしと伝わってきました。だから、私たちも何としてでも応えようという気持ちになりました。私が申し上げるのは恐縮ですが、息のあったコラボレーションができたからこそ、メーカーの持っている技術やノウハウをうまく活用していただけたと思っています。
野地:
あと、最初の飲み会が良かったと思いますよ。あれでコラボレーションが一気にうまくいった(笑)。
山内:
はい、今後の参考にさせていただきます(笑)。

来館者を出迎えるエントランスケース。背面の一部が壁に埋め込まれ建物と一体になっている。作品の入れ替えは可能。

すぐれた展示環境を活かして、より良い展示会を企画するのが今後の使命

―― 今回のリニューアルについて、来館者の方はどのように評価されていますか?
森下:
来館者の方にはアンケートにご協力いただいているのですが、旧館を知ってらっしゃる方はみなさん一様に、映り込みが少なくなった、作品が見やすくなったとおっしゃいます。2年ぶりの開館を楽しみにしてくださり、我が事のように喜んでくださるので、とてもうれしく思います。
椎野:
こんなに変わるとは思わなかった、驚いたという声もよく聞きますね。
木内:
リニューアル工事は新築と違って、リニューアル前後の違いが明らかになるので、より良いものに変えなければならないという独特のプレッシャーがあります。ここまでお話をお聞きして、その役割は果たせたようなのでホッとしています。今後のリニューアル案件のモデルにさせていただきたいと思います。
椎野:
木内さんはいま「役割は果たせた」と過去形でおっしゃいましたが、コクヨさんには開館後の現在もアフターフォローにたいへんお世話になっています。この場で感謝したいと思います。
―― 野地館長、森下さん、椎野さん、最後に今後のビジョンをお聞かせいただけませんか。
森下:
美術館は非日常空間を提供する場所だと思うんですね。当館にあてはめると、この地はもともと住友家の邸宅があった場所なので、日常を離れて邸宅を訪れているような感覚に浸っていただきたいと、私は常日頃考えています。
今回増築した第4展示室は少し小さめで、ほかの展示室からちょっと離れているので、離れの部屋に立ち寄って、住友家の暮らしの中で作品に近づいていただくような空間にしたいと考えました。そのこともあって、第4展示室だけ展示ケース内のクロスをほかの展示室よりも少し明るめにしています。
いずれにしても、展示環境というハードは整いましたので、今後はこの環境を活かす展示会を企画していくことが私たちの使命です。
椎野:
来館者の方は作品を鑑賞するために入場料を払っていただいているので、何か一つでも感動を持って帰っていただきたいと思っています。そのためには、観て楽しむのと学んで楽しむのに加えて、心の安らぎを感じていただく場所でなければなりません。また、当館の所蔵品は近代のものが多いので、保存を意識しながら感動を提供するために、これからも展示ケースが非常に重要な役割を果たすことになります。
野地:
逆説的ですが、美術館や博物館は本来あまり人が来てもらっては困る場所なんですね。できるものなら、来館者に鑑賞空間を独り占めしていただきたいからです。とはいうものの、実際には多くの人に来ていただかないと、それも困る。だから、せめて来館者一人ひとりに、鑑賞空間を独り占めしているような気分になっていただきたい。そのためには、作品に没頭していただける環境を用意する必要があると考えてきました。今回のリニューアルでは、そういう空間づくりが100%実現できたとたいへん喜んでいます。森下さんがさっき言ったように、今後の私たちの使命はこの環境を存分に活かし、来館者の皆さま方に心地より時間を提供していくことです。

ミュージアムのご紹介

〒106-0032 東京都港区六本木1-5-1
泉屋博古館東京
ウェブサイト https://sen-oku.or.jp/tokyo/

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