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HOME > ミュージアムレポート > VOL.47 > 都心の名建築で第一級の美術品を!創設者の夢を130年越しに実現

神聖なる熱田の杜のなか妖しく自ら光り放つ刀剣が浮かぶ

丸の内のオフィス街で鑑賞できる国宝、重要文化財の数々

静嘉堂文庫は1892年(明治25)、岩﨑彌太郎(1835~85)の実弟で三菱第二代社長である岩﨑彌之助(1851~1908)が収集した古典籍を収蔵・管理・研究するために創設され、第四代社長の岩﨑小彌太(1879~1945)によって、美術品を含むそのコレクションが拡充された。現在、収蔵品は、国宝7点、重要文化財84件をはじめ、東洋古美術品は約6,500件、古典籍は約20万冊にものぼり、質・量ともに私立美術館としてトップクラスだ。1977年からは静嘉堂文庫に併設された展示館で、美術品の一般公開を開始。1992年4月には、静嘉堂創設100周年を記念し、静嘉堂文庫美術館が世田谷岡本の地に新設された。

そして、静嘉堂創設130周年・美術館開館30周年にあたる2022年10月、静嘉堂文庫美術館は展示ギャラリーを東京・丸の内に移転・開館した。新天地となるのは、昭和の建造物として初めて重要文化財に指定された明治生命館(昭和9(1934)年竣工・岡田信一郎設計)の1階。古典主義様式の壮麗な石造りの建物に足を踏み入れると、広々とした吹き抜けのホワイエを囲むように4つの展示室が配置されている。ガラス天井から自然光が注ぐホワイエにはソファが置かれ、自由に行き来しながら美術品を鑑賞できる造りとなっている。展示スペースは世田谷時代の1.5倍以上となり、展示ケースや照明等も一新された。

開館記念展Ⅰ「響きあう名宝―曜変・琳派のかがやき―」(10月1日~12月18日)では、静嘉堂所蔵の茶道具、琳派、中国書画、刀剣など各ジャンルの名品とともに、国宝7点すべてが一挙公開された(前期)。都心のアートスポットとして、「静嘉堂@丸の内」という愛称とともにリニューアルオープンした経緯と今後の展示について、学芸部長の小池富雄さんと主任学芸員の長谷川祥子さんにお話をうかがった。

日本と東洋の文化・芸術を尊び 一大コレクションを築いた岩﨑彌之助・小彌太父子

膨大な美術品収集の始まりには、岩﨑彌之助・小彌太父子が生きた時代の背景が深く関係している。

明治維新以降、大名家や寺社で「お宝」として代々継承されてきた刀剣、書画、茶道具などが放出された。岩﨑彌之助は、それらの貴重な文化財が西欧文化偏重の風潮のなか、海外へ売却されていくのを憂い、"東洋のものは東洋へ留めん"とする意思から私財を投じて収集した。「明治21年(1888)、仙台藩伊達家の道具類をまとめ買いしたというエピソードがあるように、散逸を防ぐため一括購入の方針を取ったことから、後年ますます価値が高まりました」と小池さんは語る。

彌之助の収集品が、絵画、彫刻、書跡、漆芸、陶磁器、茶道具、刀剣など広い分野にわたるのに対して、小彌太は父のコレクションの一層の充実をはかりつつも、自身の俳号を「巨陶」としたほどの陶磁器の愛好家で、中国陶磁のコレクターとして知られる。

「20世紀初頭、中国では辛亥革命が起こり、清朝宮廷の文物や宋代諸窯のやきものや考古遺物などが海外の人々にも多様に紹介されました。英国留学を経て広い視野をもっていた小彌太は、そうした美術品に学術的価値を認め、専門家の意見を仰いで系統的に集めました」と長谷川さん。当時は、陵墓から発掘された唐三彩や、河川の洪水で埋没した遺跡から発見された磁州窯を「墓から出てきたものなど気持ち悪い。座敷に飾るものではない」と敬遠する人も少なからずいたという。しかし、小彌太は鑑賞したときの美しさや歴史的な位置づけを重視し、既存の価値観にとらわれることなく、コレクションの拡充を図った。その時代の先進的なコレクターの一人として、世界的な美の視点を持っていたといえる。

そして親子の共通点は、フィランソロフィーの精神に基づいて同時代の芸術家たちを積極的に支援し、当時の「現代美術」の収集にも努めたことである。結果、洋画の黒田清輝、やきものの河井寛次郎など、近代美術の巨匠たちの作品が所蔵品に加わり、日本・東洋美術史を網羅する厚みのあるコレクションが形成された。

静嘉堂文庫美術館
学芸部長 小池 富雄さん

主任学芸員 長谷川 祥子さん

重要文化財建造物のなかに最高水準の美術館設備を造り込む

丸の内といえば、日本有数のオフィス街であり、「三菱村」とも呼ばれる三菱グループの本拠地である。岩﨑彌之助が財政難に苦しむ政府から兵営跡地など10万余坪を購入し、開発に着手した当初から、この地に美術館を建てる構想はあったという。実際、のちに"一丁倫敦"と呼ばれる街並みをつくった、英国人建築家ジョサイア・コンドルが明治25年(1892)に引いた美術館の図面が今も残されている。

長谷川さんは「その当時、岩崎彌之助と英国通の側近たちは、丸の内を単なるオフィス街ではなく、ギャラリーや劇場などを呼び込み、ロンドンのような文化的な街にしたいと考えていたようです。日本に初めて私立美術館ができたのは大正6年(1917)ですから、時代を先取りしたプランですね。何らかの事情によって実現には至りませんでしたが、先見の明があったのだと思います」と語る。

小池さんは「130年の時を経て当時の人々の夢を叶え、コンドル設計の三菱二号館跡地に建つ明治生命館に開館できたのは、本当に喜ばしいことです。しかし、明治生命館は重要文化財であると同時に、建物の半分はオフィスとして使用されているため、工事を進めるにあたってはたくさんの制限がありました」と、文化財施設を傷つけることなく、最高水準の美術館設備を造り込む難しさを語る。「石造りの建物の構造を活用しながら、展示ケースをはめ、コンセントや照明等の設備も増やしてリノベーションを行い、消防法や建築基準などをクリアするのは大変でした」

多くの人のサポートと協力により、その大きなハードルを乗り越えた今、完成した新美術館について長谷川さんは話す。「西洋の古典様式にならった建築のなかに東洋古美術品が入るというのは、ミスマッチのようでもありますが、作品の入った展示空間を見てみると、共に東西の伝統ある重厚なもの同士、見事なコラボレーションと感じられました。"リニューアル"と言っても、従来よりも古い建造物のなかに最新のケースを設営し、静嘉堂の文化財を展示していくのは、これからも面白く楽しみな仕事です」

東京駅から徒歩5分というロケーションがもたらすメリットも計り知れない。

「開館してみて嬉しく思いましたのは、車椅子の方が多くご来館下さったことでした。新幹線を降りて、東京駅から車椅子でスルスルっといらっしゃれるんですね。専用リフトやエレベーターも他ではありますが、当館はフラットでそのまま来て、展示室をぐるっと回れるというのは、心理的なバリアもなく、入りやすいのではないでしょうか」と、小池さんは駅近の建物1階にある利便性を改めて実感したという。

彌之助は、19世紀アメリカの実業家アンドリュー・カーネギーの「裕福な人は社会に富を還元すべきである」という思想に感銘を受けたという。移転によって、以前にも増して多くの人々が一級の文化財に身近に触れられるようになり、創始者の素志を体現することができたといえる。

まるでオートクチュール!?曜変天目の独創的な特注ケース

今回コクヨが担当したのは、65~90センチ角の行灯ケースと覗きケースの計11台。いずれのケースも学芸員が直接さわることが多い。そこで追求したのが操作性である。

「開閉はもちろん、配光等の調整など、専門の作業員でなく学芸員でも扱いやすいのは助かります。いい照明器具をいい位置に付けていただいていることが肌身でわかり、コクヨさんの施工経験の豊富さを感じました」と小池さんは評価する。

長谷川さんも頷いて言葉を継いだ。「専門分野については、皆こだわりがありますから、やりたいことがディテールまで実現できる構造であってほしいと希望していました。カタログで拝見すると、どのケースも既に完成されている印象だったので、どこまでアレンジがきくか、少し心配でもあったのです。ですが、そこからプラスアルファで当館のコレクションに合ったスタイルに修正してくださいました。コクヨさんには、作品の展示方法についても相談できる方がいて、とても心強かったです。曜変天目のケースなどは「車椅子のお客様にもよくご覧いただきたいので展示台を低くしてほしい」などに始まり、こちら学芸の希望をことごとく汲み取ってくださった免震装置付きの特注品で、まさにオートクチュールのように作っていただいて……(笑)」

所蔵品のなかでももっとも著名な作品の一つである国宝・曜変天目は、斑紋の輝く光彩をいかに見せるかが展示のポイントとなる。そこで1年がかりの入念な照明検証を行った。

「非常に多くの人から注目されるものですから、細かいところまで要望が多く、コクヨさんにはご苦労をおかけしました。照明を変えてみたり、影の出方を見たり、あらゆる面から検証していただいたのは、ありがたいことです。おかげさまで、移転前から何度も来館してくださっている方々からも、今までにない見え方ですばらしいとお褒めの言葉をいただくことができました」

ケース上部中央にスポットライトを設け、作品の真上から見込み(内側)のみを照射しているので、茶碗のなかの「小さな宇宙」は光り輝いて見える。ライティングが見込みの外にはみ出さないように設定しているので、茶碗の足元に無駄な影が生じない。同時に、ケース床面の下部照明でほのかに照らすことで、胴(外側)の黒釉や高台までが自然な見え方で鑑賞できる。ガラスは特別な低反射・高透過の合わせガラス(AGC株式会社)を使用しているので強度もある上、鑑賞を妨げる映り込みがほとんどない。

「美術ファンはケースや照明の大事なところをよくわかっておられますから、そういう方々のお眼鏡にかなったのはうれしいことです」と長谷川さんは声をはずませた。「コクヨの方はご相談すれば、どんなことでも親身になって応えてくださり、納品後も、電源の取り方からカーペット上のケースの移動・設置に至るまで随分フォローしていただきました。そういうことこそある意味、とても大きいと思うんです」

会社の"ミュージアムケース部門"の組織がしっかりしていること、人材の豊かさ、将来への安心感を覚えたと話す。展示ケースについては、作品第一で主張しない汎用性の高さを一番の魅力にあげる。

「すっきりとスタイリッシュなデザインで、組み合わせてレイアウトしても壁に付けても収まりがいいですね。何十年経っても飽きがこないだろうと思います。最新鋭の技術を備え、機能性にも優れているので、末永く使えるよう大事に扱っていきたいです」

内外から高い評価を受けて新たなスタートを切った今、「静嘉堂@丸の内」では様々な展覧会が待ち受けているという。

「およそ6500件ある収蔵品のうち、1回の展覧会で並べられるのは80件ほどです。年明けには干支のうさぎにまつわる御所人形など吉祥尽くしの絵画・工芸、その次はお雛様を予定していますが、刀剣や茶の湯道具といった切り口の企画も考えられます。展示企画を次から次へと展開していける恵まれた場所をいただき、学芸員としてはプレッシャーもありますが、腕の見せどころでもありますね」と小池さんは、長谷川さんと顔を見合わせて笑った。

岩﨑彌之助・小彌太父子の夢が、念願の地でどのように開花していくのか、美術ファンの楽しみがまた一つ広がった。

Museum data

〒100-0005 東京都千代田区丸の内2-1-1 明治生命館1F
静嘉堂文庫美術館
ウェブサイト https://www.seikado.or.jp/

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