

住友家旧蔵の美術品を保存・公開するため1960年に設立、1970年には大阪万博にあわせて現在の青銅器館が竣工した京都・東山の泉屋博古館。設立から65年目を迎える2025年4月、約1年間の改修工事を経てリニューアルオープンした。国内屈指のモダニズム建築の意匠を活かしつつ、最高水準の鑑賞空間を実現するため、どのような創意・工夫がなされたのか。同館の実方葉子学芸部長、山本堯学芸員、竹嶋康平学芸員と、展示環境の設計・施工・製作を担当したコクヨの山内佳弘、木内隆雅(泉屋博古館東京担当)に語り合っていただいた(以下、本文では敬称を一部省略させていただきました)。

- ―― はじめに、今回のリニューアルに至る経緯をお話しいただけますか?
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- 実方:
- 当館の現在の建物は、まず青銅器館が住友グループの迎賓施設として1970年に建設されました。しかし、その後収蔵品も増え、活動がどんどん広がり、増築を重ねながらも手狭になっていました。また設備の老朽化や過去の不十分な改修などによって、様々な問題を抱えており、2025年大阪・関西万博を機に、このさき数十年を視野に入れた改修の気運が高まったという次第です。
- ―― 展示環境についてはどのような課題があり、今回どう変わったのでしょうか?
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- 竹嶋:
- 展覧会というものは、企画テーマに沿ってストーリーを展開し、徐々に盛り上げていってクライマックスを迎えるのが理想です。ところが、2号館にある企画展示室はこれまで1室だけでしたので、来館者が足を踏み入れた途端に全貌が明らかになってしまうのが悩みのタネでした。このたび既存収蔵庫の一部を移設し、その跡地に展示室を新たにもう1室設け、長年の悲願が叶ったわけです。
- 山本:
- 一方、本館にあたる青銅器館のほうは、当館で最も早くに竣工した建物で、いびつな四角形の各展示室が螺旋状に繋がり、天井も傾斜しているなど、他に類を見ない展示空間となっています。ただ、照明や設備にたびたび手を加えていった結果、本来のシンプルな持ち味が損なわれていました。今回の改修では建物の独自性を活かした上で、静謐な空間を作っていくことが目標でした。
- ―― 展示ケースも様々なタイプのものが導入されましたが、刷新するにあたってどのような要望をされたのですか?
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- 実方:
- 開館当初、青銅器以外の収蔵品は主に中国絵画の巻物や画冊でしたので、覗きケースが主体となっていました。その後、日本・西洋絵画や工芸品が加わったため、現状のコレクションに見合うケース配備が課題となっていました。加えて老朽化や、文化財の展示環境に求められる要求が時代とともに大きく変わり、現代の展示基準を満たすケースを揃える必要に迫られていたという事情もあります。
アッパーライト付き5面ガラス行灯ケースが並ぶ青銅器館。世界中で発達した青銅器文化の中でも、造形の複雑さと繊細さで群を抜くといわれる殷周青銅器の逸品をじっくり堪能できる。
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- 山本:
- 青銅器館の展示ケースは、建物と同じ設計会社が手がけたもので、当時としては非常によく考えられたものでしたが、基本的に展示替えはしないという前提で作られていました。しかし年月を経て、青銅器の展示自体の位置づけも大きく変わり、展示替えはもちろん、東京館で展示する機会も増えており、扱いやすさが重視されるようになりました。
照明についても、スポットライトを取り入れたいけれど、建物の構造上、ダクトレールが走っている場所が限られていて、展示室の天井にスポットライトを設置できないという問題がありました。そこで、従来の5面ガラスケースのデザインを踏襲しつつ、ケース内の上部に効果的な照明を付けられないかとコクヨさんにご相談して実現したのが、アッパーライト付き5面ガラス行灯ケースです。
- 山内:
- 天面ガラスに照明を付けるのは、過去に例のない試みでした。ベース照明とスポットライトをいかに目立たせず極小に収めるか、技術者のプライドをかけて知恵を絞りました。もちろん、グレア(鑑賞者の目に直接光が飛び込んでくる状態)も避けなければなりません。照明実験だけで3~4回行いましたが、立体物はやはりロの字配置で四方から光を当てるのがベストなんですよね。最も均一に光が回り、かつケース外に漏れにくいのです。
- 実方:
- スポットライトは、展示品の形状に合わせてロの字のライン上のどこにでもつけられて、照射角も変えられる優れものです。本当に、スポットライトが加わると陰影が際立って、ぐっと立体感が出ますよね。以前と比べると、青銅器の表面の細かい文様がくっきり見えて、同じものとは思えないくらいでした。常連の来館者の方々も驚いていらっしゃいます。
- 山本:
- 文様ももちろんですが、青銅器は年月が経つにつれ緑青と呼ばれる錆びが出てきます。適切にライティングすると自然な錆びの味わいが引き立って美しく、とても気に入っています。
- 木内:
- 今回、ガラスは低反射のものを使用していないのですが、照明の配光や壁の色の加減で反射が全く気にならないですね。低反射加工のされていない高透過ガラスでここまでの環境を実現することができました。
- 山内:
- 低反射ガラスにすると通常8%の反射率が2%に抑えられるんですが、それですべてが解決するわけではありません。光が外に漏れると、鑑賞者に光が当たって、反射してガラスに映り込むんですよ。だから配光をケース内にきちんと収めることが大事なんです。
一方の4面ガラス行灯ケースでも、適切なライティングを確保しながら、やはりグレアを防止しなければならなかった。そこで、ケース上部のベース照明の配置を工夫するとともに、ルーバーは既製品を使用せず、これまでに培ったノウハウで設計・製作した特注のものを取り付けています。

鏡鑑は、文様のある背面を鑑賞する形で展示されることが多いが、泉屋博古館では本来の用途に沿って鏡面も見せるなど、バラエティに富んだ展示を行っている。

- ―― 企画展示室に導入されたハイケースは着脱式パネル付きですが、どういう意図があったのでしょうか?
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- 実方:
- 当館のコレクションは、もともと各地にあった住友家の邸宅内で愛でられていたものです。そこで、かつて飾られていた床の間を再現できるケースがほしいと思い、ご相談したのが始まりです。当初は大阪・天王寺にあった住友家本邸の立派な床の間をイメージしていましたが、展示替えの際の動かしやすさを考えて、別邸の床の間と同じ3m幅に落ち着きました。
- 竹嶋:
- 六曲一双の屏風は無理だけど、片隻であれば自然な開き具合で展示できる、ちょうどいいサイズ感でしたね。そして、背面パネルと左右の側面パネルをいずれも着脱式で作っていただきました。コの字に囲われた空間によって絵画世界に没入できるという床の間の大事な要素が活かされていてよかったです。
- ―― 操作性・安全性という部分では、連結式の傾斜覗きケースでもご苦労があったそうですね。
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- 木内:
- 連結ケースは連結使用したときのケース内の床面と背面の壁の連続性を確保する必要があり、ガラスハッチを解放するためのガススプリングの位置にかなり制約を受けますが、安全かつ連結部分の見え掛りの幅を最小限に納める工夫をしています。
- 実方:
- 当館にとって巻物は重要な作品で、絵巻などは10mを超えるものも珍しくないので、連結は必須です。前のケースも連結はできたのですが、もとの蛍光灯をLED に入れ替えただけなので、上下が明るくて真ん中が暗いという状態をごまかしつつ展示していました。
- 山内:
- 傾斜覗きケースの奥側の照明はグレアがないようにしながら、作品が置かれるケース床面の中央付近にきれいに光が回るよう何度も試行錯誤しながら作りました。また連結したときにケースの中央付近と連結部分の配光に差異が出ないよう配慮しました。
写真手前が傾斜覗きケースを2台連結した状態。光の回り具合は、各地で多くの絵巻物を見てきた専門家からもお褒めの言葉を頂戴したという。
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- 竹嶋:
- 連結させて絵巻を広げたときに暗い部分があると、そこで場面が切り替わっているかのような錯覚を招くんですよね。
- 山内:
- 背面と床面の明るさのバランスを取るために遮光テープを貼るなど、見えないところでかなり手の込んだ細工をしました。モックアップでも照明は重点的に検証したので、今回はうまくいったと思います。
- 竹嶋:
- ほかにもモックアップで山内さんが特に留意されていたのは、手前のフレーム部分でしたね。そこが重たい感じになると、ケース自体が存在感を主張してしまうからと、フレーム内の照明器具を小さく収める工夫を凝らしてくださいました。スチールの塗装も収縮色を選んでくださったおかげで、より細く見える気がします。

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- 竹嶋:
- 我々が幸運だったのは、東京館という最高のショールームとモックアップを参考にできたところですね。東京館リニューアル時に、新設した壁面ケースを見たときは、ハッと息を吞みましたね。いいケースだなと。その後、東京館へ展示に行く機会があり、使い勝手のよさ、環境や防犯性も一ユーザーとして確認しました。
- 実方:
- ケースの現物を見て、展示した状態も知っていたので、話が早かったですね。天井高に合わせてもう少し床面を低くといった微調整だけで済みました。今回導入した壁面ケースは幅13m弱ですが、4m強の開閉部が内開きで襖のように動き、前面から展示作業ができて使い勝手が良好です。作業時間も以前の3分の1くらいになりました。照明は目視で確認しながらリモコンで調光調色できるのですが、東京館のときよりさらに進化したんですよね?
- 山内:
- はい。上下のライン照明を全部一灯ずつ切れるようにしました。特に下部照明は、展示台を入れたときなどを考えると、個別でオンオフできるのは断然おすすめです。
- 竹嶋:
- 部分的に展示台を入れて、ほかのところに掛け軸などを展示するとなったとき、展示台の部分は下部照明を切りたいですからね。長い壁面ケースにいろんな形状のものを同時に展示する場合、照明を細かく調整できると助かります。
壁面ケースでは、展示台を使用した立体物と、掛け軸を並べて展示しても、それぞれに適切なライティングができる。
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- 実方:
- 行灯ケースのほうも、一部、着脱式パネルを付けていただきました。本来は立体物を四方から見せるための行灯ケースに、パネルを入れて絵も掛けようとするのは私のわがままですが、資金も潤沢にあるわけではないし、ケースをたくさん作っても収納スペースに困るので、工芸と絵画、どちらにも対応できるようお願いしたわけです。
- 山内:
- ロの字照明の行灯ケースにパネルを立てると、背面の光が邪魔になるので、3本のライン照明のほうがいいかと悩んだのですが、竹嶋さんから「やっぱり工芸はロの字でないと」とたってのご要望をいただき、奥と両サイドと手前で切り替えられる調光回路にしました。これも初めての試みでしたね。
- 実方:
- 汎用性を求めると、ある程度は妥協しなければいけないかと思っていたのですけれど、それぞれがベストな形を導き出してくださるというのは感動でした。
- 木内:
- 学芸員さんの、こうしたい、ああしたいという希望がまずあって、それをどうやって実現させていくかという流れが基本です。その熱い気持ちがより良いものを生んでいくと思っているので、わがまま大歓迎ですよ。
- 山内:
- 我々は過去にやってきたことの延長線上で考えるんですけど、「これでいいのか?」と常に自分に問いかけ、考え続けなければいけない、立ち止まったらダメだということに今回気づかされました。そういうことを考えさせてくれるのも学芸員さんのご要望あってこそで、毎度すごく勉強になりますので、わがままを言っていただくのはありがたいことです。
学芸員の皆さんはもちろん、今回は改修工事の担当の方やコクヨの営業も話し合いなどに参加して一緒に作っていったという感覚があり、泉屋博古館さんとコクヨの結束の固さを強く感じました。

- ―― 今回のリニューアルについて、展示環境の満足度は何点ぐらいですか? また、来館者の方はどのように評価されていますか?
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- 実方:
- 点数化するのは難しいですが、あえていうなら95点。残りの5点は、皆さんが精魂込めて作ってくださったケースを、ちゃんと活かせるだろうかという緊張感でちょっと使いづらいことかな。特に山内さんは美術品に関する造詣が深いので、下手な展示をしたら何をいわれるかと…(笑)。これからその5点の分を自分たちで埋めていこうと気持ちを奮い立たせています。
- 山本:
- 私も気持ちは120点ぐらいなんですが、まだすべてのケースが置き換えられていないので、少し差し引いて、やっぱり95点にしておきましょうか(笑)。来館者の評価としては、青銅器館ではアンケートを取っているのですが、照明の素晴らしさを中国語で切々と綴ったものもあり、海外からも絶賛の声が届いています。
- 竹嶋:
- 企画展示室は、新設した壁面ケースに、来館者の方々が頭をぶつけた跡が残っていることが、何より最高の褒め言葉になっていると思います。ガラスの存在に気付かず、展示にのめり込んでくださった証拠でしょう? ケースの存在感をなくして、主役の展示品に集中していただきたいという山内さんの意志がケースに反映されているのを感じますね。
- ―― 最後に今後の展示のビジョンや抱負をお聞かせください。
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- 山本:
- 全国的に見ても、これだけ青銅器や鏡に工夫を凝らした展示をしているところは他にないと思いますので、この素晴らしいケースを通して、3000年以上前に高度な鋳造技術で生み出された繊細で複雑な青銅器の魅力に気づく人が一人でも増えるような印象的な展示を実践していきたいと考えています。
- 竹嶋:
- 当館の収蔵品は大別して、日本・中国のものと西洋絵画がありますので、天井高や広さの異なる2室の回遊性を活かした展示を構想したいですね。まだまだ眠っている作品がたくさんありますので、それらが最新鋭のケースによってどんな魅力を発揮するのか楽しみです。
- 実方:
- 今後、ケースのポテンシャルをフルに活かして、私たち自身も楽しみながら、いろんなフォーメーションで鮮度を失わない展示をお見せしたいと夢を膨らませています。
世界有数と名高い住友コレクションの中国青銅器。ユニークな動物や神獣たちの文様・モチーフから、古代人の豊かなイマジネーションが体感できる。
