
HOME > ミュージアムレポート > VOL.57 > 水戸の市政・経済・文化の中心地で豊かな鑑賞体験を市民に届ける


水戸駅から約1kmの場所にある泉町。偕楽園や水戸城跡も徒歩圏内にあり、古くから水戸の市政・経済の中心地として発展してきた。現在は百貨店や飲食店が立ち並ぶほか、市民会館や、コンサートホールと現代アートギャラリーを備えた水戸芸術館も所在し、市内の文化拠点の一つとなっている。
2026年2月、その泉町にクヴェレ美術館が開館した。設置・運営を担うのは、哲(てつ)文化創造公益財団法人。アパレルブランドなどを展開するアンドエスティHDの名誉会長・福田三千男氏が理事長を務め、同社の創業地である水戸に、誰もが芸術や生活文化に触れられる場を設けることを目指している。
構想の発端となったのは、1909年に建設された旧川崎銀行水戸支店の活用だった。歴史的に貴重な洋風建築であるこの建物を改修してクヴェレ(=泉)ホールとし、その両側に美術館とカフェを新設。三つの施設を一体化した文化施設「テツ・アートプラザ」を整備した。
クヴェレ美術館は、1、2階合わせて約400㎡に4つの展示室を備える。所蔵品は約630点で、福田理事長が収集した日本近現代の絵画・工芸作品と、吉田石油前顧問の故・吉田光男氏から寄贈されたシルクロードの仏教美術や陶磁器が中心。近現代の日本画・洋画約270点、シルクロード美術・陶磁器約250点、伊万里染付大皿113点の3つで構成され、年3~4回の企画展で順次公開する。
「当館は比較的小規模ですが、そのコンパクトさを強みと捉えています。買い物や散歩のついでに立ち寄り、日常の延長で水戸ゆかりの著名作家の作品に触れられる。小さなお子さんや高齢の方でも、集中力を保ったまま鑑賞できる点も、この規模ならではです」と話すのは、館長の志賀秀孝さんだ。
1階展示室には、故・吉田光男氏が収集した工芸作品を展示。2階では、日本画や近代洋画、近現代の工芸作品を紹介している。日本画、洋画、工芸という異なるジャンルを、一つの美術館としてどう見せるか。展示構成の難しさでもあるが、志賀さんは「ジャンルを越えて作品を見ることで、筆致や造形の違い、あるいは共通点に気付き、鑑賞の幅は広がります」と話す。作品をどのように見せ、来館者にどんな発見を届けようとしているのか。その展示づくりについて伺った。
クヴェレ美術館
館長 志賀 秀孝さん

「展示作品、とくに絵画については、本音を言えば、ガラスやアクリルを外してしまいたいと思うことも多いのです」と志賀さんは話す。日本画ならミリ単位で引かれた繊細な筆線、油彩画なら絵の具が幾重にも重なったマチエールには、画家の息遣いや制作の痕跡が刻まれている。しかし、ガラスやアクリルに照明や周囲の景色が映り込めば、そうした細部は見えにくくなり、画家が込めた表現を十分に伝えることはできない。
「スマートフォンやパソコンで作品の写真を見ることもできますが、それは概要を確認する作業にすぎません。美術館でしか得られないのは、実物と向き合い、筆線や絵肌を間近で見つめ、画家の表現を感じ取る体験です」
こうした考えから、一部の展示室には高透過低反射合わせガラスを採用した。存在を感じさせないほど透明度が高く、また、映り込みもほとんどないため、鑑賞者は視界を遮られることなく作品と向き合うことができる。
「実は、独立ケースを高透過低反射合わせガラスにするかどうかは議論になりました。そこで、正面ガラスの半分を通常の高透過ガラス、あと半分を高透過低反射合わせガラスにしたモックアップをコクヨさんに作ってもらいました。それを完成した2階の展示室に持ち込んで、実際に違いを比べてみたのです。結果は、関係者全員が迷うことなく高透過低反射合わせガラスを選びました」と志賀さんは振り返る。
さらに、奥行20cm、高さ275cmの掛け軸ケースも導入した。幅120cmを4台、160cmを4台備え、軽量なアクリル製のため移動や展示替えにも対応しやすい。奥行が20cm と浅いため、作品の30cmぐらいのところまで顔を近づけることができる。「作家の精神や気迫を、すぐ目の前で感じられます。理想としていた展示環境が実現できたのではないでしょうか」と志賀さんは評価する。
もう一つこだわったのが、陶磁器作品の見せ方である。収蔵品には、茨城を代表する陶芸家・板谷波山の作品も含まれる。波山が生み出した「葆光彩(ほこうさい)」は、艶を抑えた葆光釉によって、薄絹を一枚まとったような柔らかな光をたたえる技法だ。「葆光」とは「光を包む」という意味。その名の通り、表面が強く輝くのではなく、器の内側からほのかな光がにじみ出るような繊細な表情を見せる。
だからこそ、展示環境には細心の注意を払った。照明が強すぎれば反射によって本来の質感が失われ、作品の魅力が伝わらない。天井照明の当て方や明るさによっても見え方は変わり、作品の輝きから離れてしまう。
そのため、展示ケースごとに照明の明るさを細かく調整し、作品ごとに最適な見え方を追求した。「波山が表現した『光を包む』質感をどう再現するかは、とても悩んだところです。完成した展示をご覧になった方が、思わず息をのんでしまう。そんな見え方が実現できたと思います」
「葆光彩磁珍果紋様花瓶」(板谷波山・1921年)
吉祥文様である青海波の間に、桃と枇杷を描いた作品。頸部と底部の唐草模様は、法隆寺の宝物を参照したと考えられている。

特に志賀さんが思い入れを寄せる作品の一つが、松本竣介の《夕方》(1939年、油彩)である。
画面には、煙突や建物が立ち並ぶ街並みを背景に、人々が静かに行き交う様子がセピア色・茶褐色で描かれている。肩を寄せ合う家族や子どもたちの姿が重なり合う一方、街全体にはどこか張り詰めた空気が漂う。太平洋戦争前夜という時代を背景に描かれた作品だが、実在する一つの風景ではない。画家が日常で目にした街並みや人物の記憶を重ね合わせ、一枚の画面として再構成した心象風景である。
画面には薄く重ねられた油彩の下地が広がり、その上に繊細な線描で建物や人物の輪郭が浮かび上がる。その微細な表情を引き出すには、照明が決定的に重要になるという。
「暗すぎると作品全体が闇に沈み、明るすぎると夕暮れではなく昼のように見えてしまいます。ただ、演出しすぎるのは控えたい。『こう見てほしい』という学芸員の意図を前面に出さずに、作品そのものが最も美しく見える光を探しました」
また、展示ケースは作品を守るだけでなく、学芸員が安全に展示替えを行えることも欠かせない。とりわけ壁面ケースや壁に組み込むタイプは、使用するガラスが大きく、重量もある。その点、コクヨの壁面ケースは、手動でガラス扉をケースの内側へ開き、ガラス扉をスライドさせて開閉できるようになっている。そのため、上部ハッチを開く必要がなく、足場などを使用した高所作業が不要。開閉から作品の出し入れまでを安全かつ滑らかに進められるので、女性学芸員が一人でも操作できる仕様だ。
こうした学芸員の立場から展示ケースを設計することもとても重要なこと。「コクヨさんは対応がとても細やかでした。水戸まで何度も足を運んでくれ、まるで隣町に住んでいる方と仕事をしているような感覚でした。こちらの悩みを自分のことのように受け止め、その都度、一緒に解決策を考えてくれました」と志賀さん。
それだけにとどまらず、コクヨは運用や管理などの相談にも対応。たとえば、掛け軸ケースは、使わないときは展示室脇の準備室で保管する必要がある。しかし、高さ約275cmのアクリル製ケースは、そのまま立て掛けるには不安があり、寝かせて保管させるとしても広いスペースを占有してしまう。「担当者の方には、壁面に立てかけたうで、ベルトで固定する方法を提案してもらいました。限られたスペースでも安全に収納できる方法がわかり、安心できました」
1階ホールには3台の展示台を設置。すべてに免震装置(ミュソレーター)を備え、作品を固定する金具も専用に製作した。台座の色はサンプルをもとに、空間全体との調和を考えて選定している。

クヴェレ美術館が力を入れているのが、若い世代に作品を見る面白さを伝える試みである。高校生以下は入館無料とし、学校単位の団体見学も受け入れている。
子どもを対象とした「おさんぽ美術館」では、志賀さんと一緒に館内を歩きながら鑑賞するほか、落書き壁や前庭の遊具「OMOCHI」でも遊べる。子どもたちが絵に描かれた人物の表情をまねたり、同じポーズを取ったりしながら、能動的に作品と触れあえるように促す。
「絵の中に入ってみることが、見知らぬものを理解する第一歩になります。子どもの感想を否定せずに受け止めてあげると、自由な発想がどんどん出てきて、こちらもハッとさせられます」
アニメなど親しみやすい題材には多くの人が集まる一方、明治以降、日本が近代化を経て現代へ至った道のりや、その時代に生まれた美術に子どもたちが触れる機会は多くない。幕末から明治にかけて歴史の転換点となった水戸という土地で、100年、200年という時間の積み重なりを感じてもらいたいという。
「美術館で過ごすこと自体を楽しんでほしい。日本や東洋の美術を遠いものと思わず、自分たちの暮らす土地とつながるものとして見てもらえたら」と、志賀さんは期待を込める。
美術ファンに限らず、地域で暮らす人が何度も足を運び、そのたびに違う作品の受け止め方ができる場所にしたいというのが、館が目指す方向だ。
「作品を一度『見る』だけで、本当に作品を味わったことになるのか、私は、少し疑問に思っています。良さが分かったつもりになっても、実際にはまだ入り口に立っただけかもしれません」
たとえば、芍薬を描いた絵がある。花の形や色彩に目を留めるだけでなく、実際に育てた経験のある人なら、葉につく害虫や手入れの手間まで思い出すかもしれない。咲いたときの喜び、枯れていく姿、昔誰かと眺めた日のこと。作品とは直接関係のない記憶まで、次々と胸に浮かんでくる。一つの花をきっかけに過去の風景がよみがえり、田んぼを渡る風や土の匂いまで思い出す。その連なりもまた、作品と向き合う時間の一部なのかもしれない。
作品を繰り返し見つめ、そのたびに異なる感情や記憶に出合う。クヴェレ美術館が目指しているのは、そうした鑑賞体験である。そのためには、作品を安全に守るだけでなく、本来の色彩や質感、筆致までできる限り自然な状態で伝える展示環境が欠かせない。
その役割を担うのが、コクヨの技術者たちだ。高透過低反射合わせガラスによって映り込みを抑え、作品本来の表情を引き出す。さらに、照度やケース内環境を細かく調整できることで、学芸員は作品ごとに最適な見せ方を追求できる。展示ケースは、鑑賞体験そのものを支える基盤として機能しているのである。
もちろん、それだけで展示は完成しない。ケースの性能を生かし切るには、作品の特性を見極める学芸員の知識や経験、そして「どう見てもらいたいか」という館の理念が欠かせない。展示ケースの性能と学芸員の知識・経験が重なり合うことで、作品の魅力が引き出される。
湧き出る泉のように、人と作品の間に気づきや感動が生まれ、訪れるたびに別の出合いが待つ。そんな場として、クヴェレ美術館は歩み始めている。
「ふくろう」(マーティン兄弟・1893年)
収蔵作品であるふくろうは、テツ・アートプラザのシンボル。ロゴマークやマスコットキャラクターとして使用されている。イギリス・ヴィクトリア朝時代に活躍したマーティン兄弟による陶芸作品。

〒310-0026 茨城県水戸市泉町3-2-3
クヴェレ美術館
ウェブサイト https://tap-mito.jp/museum/
